寄せ書き日の丸(日章旗)返還に込められた思いを知っていますか?

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以前の記事「ポートランドの日系人が強制移住させられた歴史を知っていますか?-Oregon Nikkei Legacy Center」の中で「寄せ書き日の丸(日章旗)返還」について触れているが、今回はこの「日章旗返還」について詳しく知りたいと思い、映画「グーニーズ」の舞台として有名な海岸沿いの街、オレゴン州アストリアで活動を行っている『OBON SOCIETY』にインタビューさせてもらった。

ところで皆さんは「日章旗」とは日本の国旗「日の丸」の正式名称であることはご存じだろうか?この取材のお話が来るまで、恥ずかしながら私は知らなかった。

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太平洋戦争では日本兵240万人以上が戦死し、113万人以上もの未帰還兵がいた。
ほとんどの日本兵は家族や親戚、級友、会社の同僚、近所の人達が書いてくれた「寄せ書き日の丸」を携えて出征した。旗に寄せ書きをした人達、それを身につけて出征した兵士達、それぞれどのような思いを抱えていたのだろうか…
また終戦70年を過ぎた今、日章旗返還に協力してくれた人達が抱えていた思いとは…

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『OBON SOCIETY』創設者の敬子・ジークさんのもとに戦後62年経って突然、祖父の日章旗が戻ってきた。その当時「寄せ書き日の丸」があることや、旗の存在意味も知らなかった敬子さんやご家族にとって、それは降って湧いた出来事で「おじいちゃんの魂が奇跡を起こしたんだ!」と受け止めることしか出来なかった。しかし、敬子さんのご主人で歴史研究家のレックスさんはどうしてもその奇跡に納得できず、敬子さんの祖父の日章旗がどのような経緯で遺族のもとに戻ってきたのか独自で調査を開始した。

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そしてある事実を突き止めた。
太平洋戦争における戦勝国側の多くの兵士達が、戦いに敗れて息絶えた日本兵の日章旗を戦利品として故郷に持ち帰ったという歴史があったのだということを。

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何千、何万という旗が戦利品として戦勝国へ持ち帰られ、未だにたくさんの日章旗がアメリカ全土やアメリカ以外の国で保管されている。敬子さんは自分達の家族だけに起きた奇跡だと思っていた出来事が、他のご遺族にも起こりうるものだということを知って驚いた。自分達と同じように出征した夫、父、兄弟の遺骨や遺品すら手元に残っていない多くのご遺族に自分が体験したような思い、奇跡を届けたい。自分がやらなくてはいけないという使命感が湧いてきた。

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そんな使命感を抱いたレックス&敬子・ジーク夫妻は2009年に『OBON SOCIETY』をオレゴン州アストリアに設立した。この団体は非営利・非政治・非宗教の人道的活動組織であり、終戦から70年目となる「2015年のお盆」を目標に、できるだけ多くの日章旗を返還できるようにという願いを込めて「OBON 2015」と名付けられたが、2016年からは年代をつけずに永久的に活動を続けて行けるようにと今の『OBON SOCIETY』に改名した。

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「これが自分の夫、父、兄弟に会える最後かもしれない。無事に帰ってきて欲しい。」という家族の祈りや願いが込められた寄せ書きは『日本語』で書かれていたので、それを持ち帰った多くの戦勝国の兵士達は書かれた言葉の意味を理解することができなかった。そういう訳で誇らしげな笑顔の兵士達が掲げる日章旗写真の大半は逆さになっているのだ。当時、敵国の旗を戦利品として獲得したというのは戦勝国の兵士にとっては誇らしいことで、それを自国に持ち帰ると自慢のみやげ物となったのだろう。

このビデオはアメリカ兵だった父親が遺した日章旗を息子のテリーさんが、直接ご遺族の元へ届けに来た時の様子を撮影したものだ。彼の父親は他界する際に「絶対にこの旗を日本に返すな!」という強い遺言を残した。しかしテリーさんは父親の遺言よりも、ひとりの人間として相手の家族のことを思いやる気持ちを優先した。(OBON SOCIETY 提供)

 

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かつては戦勝国側の兵士であった人達も70年以上の歳月を経て、日本人に対する憎しみの思いが徐々に変化していった。そしてご高齢になった今、過去に自分が戦利品として持ち帰った日章旗を見て日本のご遺族のことを思い「この旗をどうしたら良いのか…」と心の葛藤に苦しんでいる者もいる。

今こそ気持ちに整理をつけ、これからの未来はお互いに作ってかなくてはいけないという心の変化。日章旗という目に見えるものを返還することによって彼らもまた心の苦しみから解放され、癒されていくのだ。

 

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(OBON SOCIETY 提供)

そういう戦勝国側の人達の心の変化というのは、日章旗返還運動を始めた当初はレックスさん、敬子さん共に全く頭の中に無かったし、理解していなかった。
団体創設のきっかけは敬子さんご自身の体験からのことであり、自分と同じように辛い気持ちでいる日本側のご遺族のことだけを思ってスタートした。しかし、実際に蓋を開けてみたら日章旗を自国に持ち帰った戦勝国側の人達も、それぞれ心に辛い思いや深い傷を持っていたのだ。レックスさん、敬子さんは日章旗返還運動を通して徐々に戦勝国側の人達にとっても旗を返すことが心の癒しになっているのだと理解していった。

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日章旗返還とは単に一方通行の運動、旗という品物をAからBへ移動させるということではない。日本側、戦勝国側にとっての戦争の区切りでもあり、これから気持ちをあらたにお互いに友好な未来を築いて行こうという運動になっているのだ。
(写真はOBON SOCIETY代表レックスさんが安倍総理と会見した時のもの)

 

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レックスさんと敬子さんが長崎県三川内で旗の直接返還に立ちあった時のことを語ってくれた。

敬子さん:そこは15世代続く歴史ある陶器職人のコミュニティで、その方達に旗をお見せしました。
「これは自分の兄の署名です」「これは父の署名です」と日章旗を指して言うのを目の当たりにした時は言葉になりませんでした。(上の写真:3名の方が同時に、各々の父親の署名を指差されました)

ご遺族に返還できるのが一番良いことですが、それがどうしても叶わない状況でも、こうやってコミュニティ全体が一枚の旗を通して当時のことを偲ばれ、ずっとその歴史が語り継がれていくことも良いのではないでしょうか。
日章旗の持つ力というのはただ単に品物が戻ったということではなく、個人、親戚、コミュニティ全体にポトッと一滴の水滴が落ち、それがバーッと周りに浸透していくことなのだと思います。

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(OBON SOCIETY 提供)

敬子さん:一方でアメリカの提供者にその報告をすると、皆さんすごく喜ばれて中にはメディアを通してコメントされたり、知り合いの人たちに伝えたり、アメリカ側でも日章旗返還という一滴の水滴がバーッと波紋のように広がっていくのです。

私達は非営利団体で活動資金が豊富にあるわけではないので、広告活動や宣伝活動を活発にやっていくことができません。でもそういう一人一人の言葉がいろいろな所で広まっていき、徐々に水滴の輪が広がって、私たちの運動がみなさんに知られていくのだと思うのです。

 

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悲しいことに、日章旗などの戦利品は非常に人気がある為、ebayなどのオークションやアンティークショーなどで売買の対象となっている。少しでも多くの人に「寄せ書き日の丸(日章旗)とはなんなのか?」ということを知ってもらおうと『OBON SOCIETY』の関係者の皆さんは昼夜をいとわず遺族の捜索活動やこの団体を周知してもらう為の草の根運動を行っている。

 

OBONソサエティーの皆様へ

母は『バルビエ家にとっても、これは誇らしく素晴らしい出来事だ』と申しています。私も そのとおりだと思います。日章旗の寄せ書きがご家族の元へ戻ったこと、渡辺氏の生涯にわたる探索にお役に立てたこと。この喜びは、とうてい言葉では言い表せません。

かつて、米国と日本はたがいに戦争をしていましたが、現在、私たちは、純粋に人として、 通じ合うことが出来たのです。これは、望外の喜びです。
文化は異なっても、まるで一つの家族になったようです。日本にいるご家族のお手伝いが出来て、とても感激しています。

渡辺鶴雄氏にお伝えください――― 日章旗の寄せ書きがお手元に届けられたと聞き、私は、 安心したと共に、とても幸せな気持ちになりました。

デイブ・ バルビエ 2015 年10 月27 日

ebayやオークションで売買されているという悲しい出来事もあれば、この手紙のように日章旗返還に至るまでの奇跡のような出来事もある。戦争で亡くなったお兄さんの遺品を50年以上かけて探し続けた渡辺氏。アメリカ、コネチカット州でたまたま購入した中古の家の屋根裏に残されていた日章旗を発見し、数十年間も大事に保管してくれたバルビエ氏。奇跡がこの家族をつなげてくれた。
『根本は人間。家族というのは、国境は違えど思いはみな共通している』
日章旗を返還するということが日本側の遺族の心を癒すだけではなく、日章旗を大切に保管してくれた多くの戦勝国側の人々の心に癒しを与え、本当の意味での終戦を迎える喜びを与えてくれるものなのかもしれない。

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最後に、終戦70年を過ぎて日本側も戦勝国側も戦争を実際に体験した方がご高齢になり、広く捜索活動を行うのが困難になってきている。ご高齢のご遺族の多くはインターネットで情報を知ることや、知った情報を広く人に伝えることが難しい状況である。そこで若い世代の皆さんにぜひお願いしたい。
『OBON SOCIETY』の運動をどうか広く世間にシェアして頂き、ご遺族がご存命のうちに、日本に帰還することが叶わなかった兵士達の魂を故郷に帰らせてあげて欲しい。

OBON SOCIETY

web WEBサイト(English)

web WEBサイト(日本語)

Email:contact@obonsociety.org
お問合せ先:P.O. Box 282 Astoria, OR 97103

OBON SOCIETYは、日章旗のご遺族の捜索、返還に至るまで無料で行っております。この活動にご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。詳細は下記をご覧ください。
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